頭の中の映像が動くか・・・

作詞をする事。

歌詞を書いていくという事は、当然、物語が創られていって話が展開していく訳ですが・・・。
作詞をやり始めの頃の、まだ初心者な頃にはちょっと難しいのかどうか?

何を書くのか?どんな事を書くのか?、話の内容が決まったら、書きながらでも、自分の頭の中で「映像が動く」、場面が流れていく・・・という状態が生じるだろうと思うのです。
これは創作していく上で、結構大事な事です。

よく、本を読んでいたり、詩集などを読んでいると、その文章に描かれている事が、頭の中で、映像となって動く事ってありませんか?
それとある意味、同じ事です。

おそらく、何作品か書いていくと、頭の中で映像が動く、光景が次の場面に移るという事は、多分、自然になっていく事だろうと思われます。
と言いますか、そうならないと、書きながらも自身の書く歌詞の細かいチグハグなどに、なかなか気付けないと思います。
なので、頭の中で、内容が展開していくという事は、結構重要な事です。

作詞 映像 動く

よく、人の作品を読んでいて、内容を頭に浮かべながら読み進めますが、そうすると、おかしい箇所が顕に視えてきます。
そして、自分が書いた歌詞が人に読まれて、聴かれて、その読んだ/聴いた第2者/第3者の頭の中で生じるであろう映像の流れにおかしな部分が生じさせる事もあるでしょう。
そうなると、「何でそうなっちゃうの?」という疑問を生じさせ、この歌詞のココはおかしいでしょ?
となり、発売前に、ディレクターもプロデューサーもチェックしなかったのかな?おかしいと思わなかったのだろうか?となりそうです。
平たく言うと、辻褄を考える、という事かもしれませんが・・・。

かといって、物語の作家さんや小説家さんの如くの頭脳を持てる様になりなさい!などという事ではありません。






ちょっと変な喩えかも知れませんが、子供の頃に似た様な事を無意識のうちにやっていた事と思い返します。
お父さん、お母さん、ご兄弟と、夏休みに遊びに行った楽しい思い出を、
「・・・あの時、●●で☓☓だったから、楽しかったな~・・・」という風に思い出しながら作文を書いたでしょう。
それも、テーマ展開のある種、起源的なものかとも思います。

子供の頃の作文と、楽曲創作における作詞は、そりゃぁ違うものですが、起源、ルーツは遠からずな気もします。




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