「たまたまフィットする1部分が気に入られる」という事

その昔、東京の新宿に在る(今でも在ります)音楽専門学校に在学していた時、その講師の先生に、とある歌詞を診てもらった事があります。

そして、その診てもらった同じ歌詞を、現在受講している作詞の通信講座の先生にも、添削指導の部門宛で診てもらった事があります。
その時です、その前述の、新宿区に在る専門学校の先生に診てもらった時と、全然違う添削内容/アドバイスが返って来たのです。

それで、当方はパニックを起こしたのです。
「え?何で、全然内容が違うんだ?・・・」と。

フィットする

歌詞は一つの同じ歌詞なのだから、誰が診ても大概同じ評価になるのだろう・・・と、当方はある種、裏付けを欲していました。

それで、その疑問を解決したくて、その通っていた専門学校の先生宛に手紙を送りました。
そして、返って来た返事は?というと・・・

「これが正しい!というのは作者の内にあるもので、解釈に差が出るのは仕方ないと思います」
「たまたまフィットする1部分が気に入られるのであって、それはそれで良いと思います」
「あまり色々と悩まずに、どんどんと別の作品に取り掛かった方が良いでしょう」
という返事でした。

その意味が解るのは、少し経ってからでした。

通信講座の先生からも、
「そもそも不確かな言葉の解釈が十人十色なのは当たり前です」
「不確かな言葉達を使って書かれた歌詞が、誰が診ても一つの同じ詞ではあり得ないのです」
という言葉を頂いたのです。

人の性格がそれぞれ違えば、経験してきた人生、試練、環境もまた、十人十色で人ぞれぞれです。
ならば当然、歌詞を見る目も講師という立場にある同士でも、全く同じ技量/見方を持っているとは限りません。
だから、歌詞の、原稿用紙1~2枚分ある文章量の、1部分がたまたま気に入られる事が、それはそれで良いのだ!という事なのかもしれません。

例えば、安全地帯さんの「風」という曲があります。作詞家の松井五郎さんの歌詞です。

「涙を集めてきたハンカチに 迷路の地図ばかりを描いてきた」
「諦めれば泣かなくてすむだろうけど 微笑みも消えるはず」

というフレーズがあります。






又、氷室京介さんの曲「SACRIFICE」という曲があります。これは作詞家の森雪之丞さんの歌詞です。

「翼は折れても歩けるなら道はあるはず」

というフレーズがあります。

当方は、これらのフレーズが気に入っています。

誰しも、好きなアーティストの曲を聞く時に、歌詞の全部が好きで、気に入ってるから聴いてる!という事ばかりではないのではないでしょうか?
むしろ、ある1曲の、歌詞全部を理解しながら聴いているでしょうか?

たまたまフィットする1部分が気に入られるのであって、それはそれで良いと思う・・・という事、自分の感性や経験と偶々フィットする共通部分、それを楽しみましょう。




この記事へのコメント