付曲される事を想像して書いているか?

歌詞を書く時に、曲が付けられる事を想像して書いているかどうか?これは、かなり重要な事です。

歌詞は当然、曲が付いて、歌い手さんに渡って、歌われてこそ初めてその価値が活かされるものです。
付曲って、要するに歌詞にメロディーが付けられる事、簡単に言えばそういう事です。

様々な方の歌詞を視てると、まだ初心者でそんなに何作品もまだ書いてなさそうだな・・・と視える作品は多く見受けますが、しかしながら、メロディーも付けられずに、歌い手さんに渡らず、楽曲にならなければ、ただの文章がそこにある、という事実だけが残るもので終わってしまいます。

趣味で書いているにしても、結局、歌われなければ、書き終わったらそれでおしまい、でしょう・・・。
ポエムやエッセイなら、ネットの投稿サイトに載せて誰かに読んでもらえばそれで価値を成した、という事にもなりそうですが、歌詞となったらそれは違うだろう、と思います。

そして、歌詞に、曲が付けられる事を念頭に起きながら書いているだろうか?と疑問に思う作品は随分多いです。

付曲 想像

例えば、AメロならAメロで、1番と2番に共に在るAメロとするとして、1行の同じ部位の文字数量、発音する音の数が、明らかに3つ4つと違う場合や、
BメロならBメロで、行数の構成が、1番のBメロは3行なのに、2番のBメロは4行になっている、などというケースを見掛ける事は少なくありません。
本当に、創りを考えながら書いている・・・というよりは、悪い意味で、好きな様に自由に書いているだけ・・・と視える作品は多いです。

好きな事を好きな様に自由に書くのは、テーマ、ストーリーの内容であって、歌詞に落とし始めたら、文字数構成などはきちんと考えなければなりません。
例えば、1~2文字程度の違いはメロディー、譜割に細工をしてちょっとくらいはそこそこ工夫できてしまいますが、3つ4つと文字数、音の数に差があったらそうは行かなくなって来ます。






これ、また相手の立場/目線に立っているか?という話に共通してきますが、自分で作曲までやっている人なら解る、という話になってしまうのですが、トドのつまり、曲が付けられて歌い手さんに渡って歌われてこそのもの、という話に行き着きます。

付曲される事を想像して書いているか否か?は作品を視れば、そこそこ判ってしまうのですが、初心者を脱する頃にはそろそろそれを出来る様に書いていく事が望ましく、そうする事で作詞力の成長にも繋がります。

とにかく、考えて書いて、そういうクセをもぅ付けてしまいましょう。




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